Tokuunji 円明山徳雲寺
円明山徳雲寺[臨済宗]
起源は、江戸の時代が開闢を迎えてほどなくの頃―元和9年(西暦1623年)。時の藩主―有馬豊氏(ありまとようじ)がこの地に草創。その開山は回厳玄登―甲斐国(現山梨県内)は恵林寺(えりんじ/山梨を代表する臨済宗の名刹)の快川(かいせん/武田信玄にゆかりの深い名僧)の高弟たる僧であった。
その創建から100年余の時を下って、宝暦4年(西暦1754年)のこの地に起こった農民一揆―『宝暦一揆』―の際には、当時のこの寺の住職が、藩主の有馬頼徸(ありまよりゆき)に対して、人別銀(おおよそ全ての藩民を対象として施行された新たな税制~簡易には『増税』)に反対する旨の上申を行った。虎堂と称したこの住職は、このことで後世に名を遺している。
更に時も下って近代へ。明治2年(西暦1869〜1870年中)の1月の末の夜に、本堂の前で9名の藩士がその腹を切って逝去。それから幾多の時代をしのいで昭和53年(西暦1978年)に至り、当地出身の建築家―菊竹清訓(きくたけきよのり)を設計者として、その本堂の再建を行った。